ひと記事目、本の紹介を書きたいとは思っていましたが、何にしようかしらと悩んでいました。好きな本は多くあれど、1つめ…。
思いついたのが中谷宇吉郎さんの随筆集。いつどこで買ったやら全く覚えていませんが、好きな本と考えてさっと出てくる方でした。
中谷宇吉郎さん(1900-62年)は雪や氷の研究で有名な物理学者です。随筆の中にも科学関連の話はよく出てきますが、文章が平明で読みやすいです。
文系民としても、何言ってるの…みたいなことはあまりないです(難しい部分は分からなくてもおもしろいです)。
私の好きポイントは、以下の3点です。
・どの作品にも一本筋の通った考え方と気づき
・物腰やわらかな文体
・ちょいちょいユーモア
『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二編、岩波文庫より、2作品をピックアップして紹介します。
南画を描く話
趣味で墨絵(南画と呼んでいますね笑)を始められたエピソードです。
もともとは油絵を描いていたそうですが、
「段々忙しくなって来ては、どうにも油絵など描いている閑はなくなってしまった」
「墨絵の方は大変便利であって、描きかけたら、一時間か二時間あれば大抵の絵は出来上る」
ことが決定打となって始めたそうです。
とりあえずやってみよう
他の話でもそうですが、「とりあえずやってみよう」精神が随所に見られます。「初めて」や「へたくそ」を気にしてしまいがちな私にとっては、背中を押してもらえる気がします。
完成したものはどんどん人に見せたり、贈ったり、讃(絵の余白に入れる詩や言葉)を入れてもらったりしている姿が書かれています。
あるときは墨絵を練習している話をしたところ、しばらくして「判を作ったらどうだ」と篆刻家を紹介され、
「さすがに少し恥ずかしい気もしたが、度胸をきめて、一組頼むことにした」そう。
それが縁となって、その後良い墨を入手することもできたみたいです。
「とりあえず完成させること」「臆せず人に見せること」がまずは大切なんだなあなど考えながら読みました。
試行錯誤
また、いろいろと試行錯誤しながら練習しているのですが、それもまた理屈が通っていておもしろいんです。こういう気づける人間になりたい…。
長いですが1か所まとめてみました。
①新聞に掲載されている集合写真を見て、
小豆粒ほどの人の顔、それもよく見たって黒いところがほとんどで、白いところも大して違わない、それでも皆の顔の特徴が分かり、表情まで分かるんだから大したもんだ、
と感心した。
②そこで虫眼鏡で拡大して調べてみることにした。よーくみれば、その黒や白の部分に微細な差が出ているのがわかるかもしれない。
③結果、新聞の粗い目では測れないが、分析的によく調べれば差はあるのだろう。そしてその差の綜合効果でもって顔立ちや表情の差となっているのだろう。
④絵で考えてみると、
「極めて簡単なタッチで、小豆粒大の人の顔を見分けさせ、その上表情まで出していることになる。」
それを可能にしているのは「描かれたものの形や色にあるというよりも、むしろ見る人の眼と頭とに具有されている各種の要素についての差の綜合認識作用にあるのであろう。」
という理屈が分かった上で、それを活かす技術が必要だが…笑
⑤ある日、津田青楓さんという画家の方がインドリンゴをスケッチするのを見ていて、はたから見ても分かるくらい慎重に引いた線が一本あった。
その線が引かれたとたん、ただのリンゴではなく「インドリンゴ」になった。
それはその絵を見ている者の頭の認識作用をうまく利用しているに違いない。
⑥人間は誰でも、いくつかの要素を抽象した像だけを頭に持っていて、それを再現すれば満足するのではないか。
そうすると「観者の頭の中にある沢山の線の中の一本をぴんと鳴らしてやればそれで良いので」、あとは勝手に頭の中に持っているイメージと結び付けてくれる。
⑦以上が墨絵の秘訣であろうということで、そういう線を見つけて描けるように色々観察しよう。
ただ描くというより、なんでだろう?と探求しながら描いている姿が浮かびます。
一般的にこうだから、というよりも、自身の理屈で、目的に合った手法を選択している感じがしました。
大切なことは度胸
最後に、中谷さんの締めの言葉を掲載しておきたいと思います。
「一年南画を勉強して、誰の前ででも平気で描くには、相当の修養が要る。それよりもそれを随筆に書くのは一層むつかしい。しかし人間一度度胸をきめれば、それくらいのことは出来るものである。」
必要なことは、やってみること、続けること、あとは度胸!なのですね(´∇`)
イグアノドンの唄
2つめはこちら、終戦の年の冬、北海道でご家族と疎開していた時のエピソードです。とりあえず読む前からタイトルが素敵だなと思いました。
当時、北海道では冷害・大雪に悩まされ、また終戦直後ということもあるのか食糧危機に陥っていたようです。
そんな中、遊び道具もない家の中で子供3人に向けて、コナン・ドイルの『失われた世界』を読み聞かせる、というお話です。
時代背景を考えるとどうしても暗い雰囲気になりそうなのですが、むしろ温かさを感じます。
吹雪の中に、暖炉のあたたかいオレンジ色が灯されている、というイメージが浮かびました。
『失われた世界』、実は読んだことがないのですが、このエッセイを読んでおもしろそうと思いました(いつか読もう)。どんなお話か、中谷さんの要約をそのまま載せておきます。
南米アマゾンの秘境、人界から遠く隔絶された「失われた世界」に、ジュラ紀時代から生き残っている巨大爬虫類が棲んでいる世界がある。この秘密を求めて、英国の科学者たちが、敢然魔境に踏み入って行く。
本当にこんな世界があるかも…
子供たちへはもちろん(?)架空の物語としてではなく、
「英国のチャレンジャー教授という先生が、南米のアマゾン河の…」
「古代の恐ろしい竜だの、怪獣だのが其処に本当にいたんだよ」
「イグアノドンなんていうのもいたんだよ。ああいう竜は、ジュラ紀といって、一億年以上も昔の時代にはたくさんいたことがよく分かっているんだ」
「それが今でも生きていて、そういう古代の生物ばかり住んでいる世界が、アマゾン河の上流にはあるんだ」
という風に読み聞かせています。
一番下の小学校へ通っている男の子は、大層興奮しながら簡単に承服してしまったらしいです笑
二番目の娘さんも「本当らしいわ」と。
一番上のもう女学校へ行っていた娘さんは「小説みたいな本じゃないの」となかなか承知しなかったということで、
昭和13年に、白亜紀には絶滅したと考えられていた化石魚(おそらくシーラカンスですね)が発見された話を前置きとして始めました。
紹介されていた科学雑誌も手元にあったらしく、はく製にされた写真と、発見以前に作成されていた復元図を見比べて見せたところ、全く一致していると。
まさに『失われた世界』だ!ということで、無事一番上の娘さんも陥落してしまったそうです。
※細かいですが、「承服した」「陥落した」は原文そのままの言葉遣いです。お父さんが「しめしめ」と楽しがっている感じがでているなあと思うのは私だけでしょうか(笑)。
科学のおもしろさ
こどもだましな、と思うでしょうか。確かに『失われた世界』の方は小説ですが、
「地球上のことはもうあらかた分かっている。そんなことはありえない。」
と考えてしまうのもまた違う気がしますね。なによりそういう世界があるかもしれないと思ってお話を聞く方がおもしろいに決まっています。
「科学の素晴らしい進歩によって、人間はもう地球上のことは、何もかも知り尽くしたように思っている。しかしまだ何が隠されているか知れたものではない。」
「…そういう怪物が、まだ神秘の大洋の何処かで、ひそかに棲息しているのかもしれないと考えた方が、かえって科学の心に通ずるであろう。」
上記がこの作品の中で書かれていますが、こういうワクワク感を科学に持ちたいなあと思いました。
当たり前だ、と思っている日常のことも、よく考えたらなんでなのかよくわかってないよなあ。
気を付けよう。
それはともかく、
お話を読み聞かせるやわらかいお父さんと、きゃあきゃあ言いながら(かは知りませんが)夢中になっている子供たちという雰囲気や、
お父さん自身がそういう世界に憧れているような楽しい空気が伝わってきます。
最後に
2作品を紹介しましたが、他の作品も読みやすくおもしろいものがたくさんあります。
中谷さんの文章の空気感をうまく伝えきれているかわかりませんが、気になった方はぜひ読んでみていただけると嬉しいです。ありがとうございました。
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